俺が見た23年前のパレスチナ

イスラエル軍のガザ侵攻(パレスチナの人々がさらに虐殺される事を意味する…)が秒読みで迫っていて、世界中が何もできないでいるという悪夢のような今、2023年10月15日の昼下がり。
ハマスのイスラエルへの越境攻撃にはショックを受けたが、だからと言って、100万を超えるガザの住民に「すぐに避難しろ。さもなくば死ぬ」と突きつけ報復する事など許せるワケがない。
俺は23年前、中国からスペインまで半年かけて旅した時にパレスチナにも寄った。
自分が行ったのはガザではなくヨルダン川西岸だったし、状況も今と比べたら「まだ牧歌的」だったかもしれない。しかし、パレスチナの人々を苦しめてる理不尽は何十年も変わってない。いや、さらに追い詰められて、状況は絶望的に悪化していると思う。
俺が見た23年前のパレスチナの写真を共有します。パレスチナに、ありったけの想像力を向けていただければ!

2000/11/07 ヨルダン川西岸ハリス村
イスラエル側入植地から様々な嫌がらせを受けているハリス村。夜間には入植者が発泡してくる事も。N・ゴラン(右端の女性。パレスチナに連帯するイスラエル人グループの活動家)が村の人に話を聞いている。

2000/11/07 ヨルダン川西岸ハリス村
イスラエル兵にずかずかと歩み寄り、直接対話を試みるN・ゴラン。マヌーチャオのファンという事で意気投合したコロンビア系イスラエル人の兄ちゃんは僕の横で「マジかよ?行くんかよ?」とビビっていた。

2000/11/14 ヨルダン川西岸ハリス村
イスラエル軍によって根こそぎ掘り返されたオリーブ畑で、村人に話を聞くN・ゴラン。子供たちは突然現れた謎の東洋人が珍しくて楽しげ。右端のイタリア人老カメラマンは俺に熱くパレスチナを語った。

2000/11/14 ヨルダン川西岸ハリス村
子供たちに話を聞くN・ゴラン。軍や入植者に脅かされているパレスチナの村を支えようと、片っ端からプレスに電話をかけまくりながら「これが、イスラエル良識派の限界なのよ!」とボヤいていた。

2000/11/14 ヨルダン川西岸ハリス村
イスラエル軍車両と村の少年たち。ある夜、入植者たちが挑発のための発泡をして来た事があった。当然僕はビビったが、少年たちは落ち着き払って「ここなら安全だよ」と誘導してくれた。

2000/11/14 ヨルダン川西岸ハリス村
パレスチナのコミュニティーと行動を共にするイスラエル人ジャーナリストに対し、人の頭と同じぐらいの大きさの石で威嚇する入植者。この直後、本当にこの石を振り上げていた。

2000/11/16 ヨルダン川西岸のある村
ハリス村の向かいの丘にある村がイスラエル軍の攻撃を受けた。その翌日、攻撃された民家の屋上にて。部屋の中はグチャグチャに破壊され、寝ていた住民は重症を負った。

2000/11/16 ヨルダン川西岸のある村
遠目に見ると、この中の一軒の民家が軍に攻撃されたとは信じられない。オリーブ畑がどこまでも続き、なだらかな丘に集落が点在するパレスチナ(ヨルダン川西岸)の景色は本当に美しい。分離壁ができてしまった今、どうなっただろう?